遊びは、学び
子供達は日々遊びを通して様々な事を学んでいます。「心と体」で知恵を働かせ、お友達と協調しあいながら日々成長していきます。
園生活はあくまでも子供達が主体であり、教師はその支援者です。園は子供達にとってとても楽しくて明日も行きたくて仕方が無い場所でなくてはなりません。仲間と共に生活する楽しさを味わい、その子らしさを尊重しそれぞれの年齢にふさわしい成長がとげられるよう、どの子にも平等に愛情をそそぎ接します。
手をかけ過ぎず常に温かく見守り、時には正しい方向へと導いていく事も大きな使命と考えております。
本園では子供一人一人の思いや願いを大切に全教師がチームワークよく日々の保育に当たっております。
教育目標
心身ともに
たくましく伸びる子供の育成
園訓
やさしく かしこく
たくましく
めざす子供像
特色
きめ細かな指導
一人一人の発達に即した支援
遊びを中心とした保育
子供の発想を生かし
興味関心、意欲態度を育む
少人数クラス編制
幼児期にふさわしい
異年齢の交流保育
直接体験の重視
文化施設等の活用、一人一鉢
花・芋や野菜の栽培
メダカや昆虫の飼育・観察
伝統行事への参加
薩摩の伝統行事への参加による
心身の鍛練
みはたの心
M…認めあう心
H…励ましあう心
T…助けあう心
園長ごあいさつ
学校法人集成学園集成幼稚園は、1913年(大正2年)に研志舎幼稚園として開設され、その後、1926年(大正15年)加治屋町の高見学舎が研志舎と合併し、集成学舎と改称したことにより幼稚園も集成幼稚園と改称しました(財団法人集成学舎集成幼稚園として発足)。1985年(昭和60年)に認可され、学校法人集成学園集成幼稚園として発足し、2024年には111年を迎えました。
1987年(昭和62年)に現在の加治屋町に新築移転してきました。本園の園舎や園庭に一歩足を踏み入れると、この長い歴史のなかで培われてきた幼児教育の優れた成果を、理屈抜きに感じ取ることができます。ここかしこで創造的な遊びに興じる子供達一人一人の姿が、その何よりの証左といえるでしょう。私たちは、幼児期というステージを、人間の一生を基礎づけ、方向づける特別な意義あるものととらえ、子供達が心身ともに健康に、社会のかけがえのない一員として成長することを願いつつ、日々の保育に取り組んでいます。学年などの集団のもつ力を大切にしながら、同時に、一人一人の子供の個性とみずから伸びていこうとする力を引き出し、寄り添いながら見守ることが、教師の重要な使命だと考えています。
園生活の主役は常に子供達です。保育時間の大半は、子供達一人一人がやりたい遊びを選び取り、より楽しくなるよう工夫し、創造することで過ぎていきます。また、学年があがるにつれ、仲間と協力すること、年少の子供達にやさしくすること、動植物の世話をすること、遊びの後片付けをすることなどにも楽しんで取り組めるようになります。
「こどもまつり、偉人祭、妙円寺詣り、芋掘り、豆まき、ひなまつり」など四季の移ろいを感じることのできる行事や、「遠足、運動会、山坂達者城山登山、発表会」などの大きな行事も、園生活の自然な流れのなかに組み込まれ、子供達自身が楽しみながら進んで取り組めるよう、教師は環境を整えます。
また、幼児の発達を見据えた保育に関する研究についても、毎年専門の講師を招聘し、年間を通して研究保育を行い、研修の成果を日々の保育に生かし、より質の高い幼児期の教育とは何かを考え続けています。
幼稚園は、家庭のご協力も大切な幼児教育の礎と考えております。保護者の皆様と一緒に研究を進めながら、子供のよりよい育ちについて考えていきたいと思います。
アクセスマップ
〒892-0846 鹿児島市加治屋町15-2沿革
大正2年 | 上加治屋町に研志舎幼稚園として設立 |
---|---|
大正15年 | 集成幼稚園と改称 |
昭和19年 | 県立第一高等女学校(鶴丸)代用幼稚園指定 |
昭和20年 | 空襲により園舎焼失 |
昭和26年 | 園舎新築 保育再開 |
昭和60年 | 学校法人集成学園設立 |
昭和62年 | 現在地に新築移転 |
平成5年 | 集中豪雨により床上浸水 |
平成25年 | 創立100周年記念式典・園歌制定 |
平成28年 | 幼稚園(施設型給付)となる |
平成30年 | 明治維新150周年記録ビデオ制作 |
令和5年 | 創立110周年 |
令和6年 | ホームページのリニュアル・更新 |
維新のふるさと
加治屋町
明治維新の原動力となった多くの偉人たちは、ここ加治屋町で生まれ、青少年期を互いに、切磋琢磨しながら立派な大人として成長していきました。この一帯は歴史ロードと呼ばれ、市民に広く親しまれる公園で本園の保育フイールドとなっています。